私がパチンコにハマるまで-1
皆様こんばんは。
パチンコ依存症ののえです(∪^ω^)
禁パチ1日目が終わろうとしています。
はじめに、昨日の出来事を備忘録として打ちたいと思います。
昨晩ブログを開設した4時間前ほど、私は仕事帰りにパチンコ屋さんに寄り、1万8千円負けて死んだ顔でお店を出ました。
新台のエヴァンゲリオンライトミドルの台で大当たりを3回引くも、全て単発。。。
「またやっちまった…なんで俺だけ…なんで…」自分でサンドにお金を突っ込んだのに、負けるといつもこう思ってしまいます。
財布の中は当然空っぽ、給料日から数日しか経っていないのに全てパチンコに使ってしまい銀行口座の残高も数百円。
生活費がないのでまたアコムのカードでせっかく返済したお金をまた引き出すどうしようもない男。それが私です。
「借金の完済はいつになるだろう」
「もし今倒れたら治療費はどうしよう」
「急な出費が出てくるかもしれないのにどうしよう」
不安な気持ちに苛まれ、何をしてもボーっとしてしまいます。
それでもやめられないパチンコ…
大当たりをして収支がプラス域に入った瞬間の安堵感、安堵感からの連チャンへの期待、期待以上に出玉を確保できた時の達成感と高揚感を無意識に脳が求める私は本当に病気です。
ただ、こんな風に落ちぶれ、堕落していく自分も嫌いではないと思っている私は間違いなくMであります。
前段が長くなってしまいました…
私がパチンコにハマった経緯を打ちます。
全ての始まりは約4年前…
私は普段営業の仕事をしており、取引先の方との雑談で度々「のえさんはギャンブルやらない人?」こんな問いかけが多々ありました。
その問いに対し私は「やらないですね(^ω^;)」と、何回も答えた記憶があります。
そもそも、私の父は趣味が競馬で負けると酒を飲み、とても機嫌が悪くなり母親や私やモノに八つ当たりをする父の姿を見ていたので幼少の頃からギャンブルが大嫌いでした。
そう、胴元が儲かることが当たり前なことがギャンブルなのに、なぜそんなことにお金を使うのか疑問に思っていました。
学生時代、周りの友人が◯万円のプラスーとか、天井まで持ってかれたよおーマジクソだわあの店とか耳に入ってくる日常会話を心の底からバカにしていました。くだらねえと。
そんなギャンブル嫌いだった私に転機が訪れます。
2015年3月 友人と遊んでいる最中、こんなことを言われました。
「社会経験で、パチンコ一回やってみれば?お客さんと話しできないっしょ」
私は、仕事で取引先の方々との会話のネタになればいいなあと軽い気持ちでどんなものか一回やってみようかなと思いました。
数日後、1万円を財布に入れ友人とパチンコ屋さんへ。パチンコ、スロット合わせ1,000台の大型店です。
店内に入るとあまりの轟音で耳がすぐにやられてしまいました。
友人の声も耳を近づけないとよく聞こえません。
当時タバコを吸っていた私は、タバコの煙については何も感じませんでしたが、なんなんだこの空間…うるさすぎるだろ…なんでみんな平気なんだ?私はこう感じました。
友人に言われるがまま「のえ、見てみ。エヴァの台があるよ。あれ打ってみれば?」
大当たり確率1/390
今はなきMAXタイプのエヴァンゲリオン9が私の人生初のパチンコでした。
無謀にもいきなり1玉4円の4円パチンコにトライ。
友人に言われるがまま、お金をサンドに入れて玉貸しボタンを押し恐る恐るハンドルを握り打ち始めるも、どうやったら大当たりするのかわからず…ただヘソと言われる場所に玉が入ると抽選が始まるということは理解しました。
ただ、はじめてのパチンコだった私は玉を打ちながらせわしなく変わる液晶画面を見て、保留が8個になったら打ち出しを止めるという動作に頭が追いつかず…玉がなくなったらとりあえず玉貸しボタン連打。
30分ほどで玉貸しボタンを押しても玉がでなくなり1万円がなくなっていることに気がつきます。
「えっ…!!もう1万円なくなったの!?マジかよ…クソつまんねぇじゃん!ありえないなんだこれ」
率直に、なんてくだらないんだと思いました。
ここまでが当時正常だった頃の私の脳。
長くなってしまったのでこの辺で。
次回、当時を振り返りながらまんまとパチンコの罠にハマる自分を詳細に記事にしたいと思います。
読んでいただき、誠にありがとうございました。